院長紹介
中本歯科クリニックでは、みなさまの歯の健康を応援しています 院長;中本康道...昭和42年5月25日生.佐伯郡湯来町(現広島市佐伯区)で小学校2年まで過ごし、その後五月が丘に移る。
ずっと広島で過ごしていたので1度は東京へ行っておこうと考え、卒業後すぐ東京の北区赤羽にある赤羽歯科に入局しました。 一般的な歯科治療はこの先、生きている限りずっとやっていくので、今しか集中的に技術が学べない矯正歯科の勉強を広島
大学の矯正科で2年間勉強しました。 平成9年春から始めたわけですが、当初は患者さんも少ないだろうしと、のんびりとかまえていたのですが、3か月も経つと結構
忙しくなり、それから2,3年は来られた患者さんに、予約してもらいながら30分以上待って貰ったこともたびたびあり、大変迷惑
をおかけしたと、いまでも反省しています。
五月が丘小、中学校を卒業。
小学校時代は子ども会のソフトボ−ルで6年の時五日市少年ソフトボ−ル大会で優勝したのが一番
の思い出です。ちなみに5年のときは準優勝でした。
修道高校、広島大学歯学部をそれぞれ卒業。
大学時代は歯学部準硬式野球部に所属し練習と家庭教師のアルバイト
そして本業の勉学に6年間励み、なんとか留年せずに卒業しました。
その頃は大体ひと学年のうち2,3割が1回は留年していたも
のですから。
ここだけで歯科医が9人〜11人ぐらいおり、患者さんも日に250〜350名位来院されその上年中無休という、まさにウルトラ歯科
で、その他の7か所も合わせると総勢50〜60名とまさに大規模で多種多様な歯科医師、
その他にも歯科技工士、歯科衛生士、歯科助手、受付、経営本部、事務の人々との交流で大変いろいろと勉強させていただきまし
た。
しかし独立は広島でと考えていましたので、大変懇意にしてくださった、沢山の患者さんには申し訳なかったのですが、まる
3年での帰郷とあいなりました。
この間、日本矯正歯科学会、顎関節学会などに所属し臨床(矯正治療の方法)だけでなく、
学問的にも知識を深めました。
しかし、私の場合、教授になりたいわけではないので、もう少しは在籍していても良かったとも
思ったのですが、現在地で日用品のお店をしていた叔父が、もう辞めるから歯科医院をしてくれないか、と頼まれ、この機会
にと、独立することにしました。
その後スタッフも増え、今でもたまにはどうしても待ってもらうこともありますが、まあ
まあみんなの協力のおかげで毎日順調に診療しております。